北海道最古の温泉

 北海道最古の知内温泉は「大野土佐日記」によれば元久2年(1205)、砂金を求める荒木大学の渡来に遡ると言われており、その歴史が極めて古いことを物語っています。
 当温泉は宝治元年(1247)七月二十五日薬師堂を建立したのが始まりとされています。最上徳内が標した「東蝦夷地道中記」に知内温泉の薬師堂の棟札には「施主、荒木大学湯主徳蔵応永11年(1404年)の銘があることを発見した」とあり、この時には温泉薬師堂が建立されていたことは明確です。
 寛文5年九代の城主松前志摩守高広公の奥方ご入湯に当たり福島村戸門治兵衛の先祖に仮屋造営を仰せ付けご入湯せり、とあります。
 宝永元年八月二十三日に湯倉神社の小祠を福島村の中島弥平治が之を建てて薬師如来(ヤクシニョライ)大貴命神(オオムツノカミ)、少彦名神(スクナヒコノカミ)の三柱を祭祠しました。薬師杉はその当時、奥方の御手植の杉で樹齢500年余り、幹の周囲は4メートルもありました。第二次大戦の際に献木し、その切り株は今も残っています。
 松前公はその後、湯守を置いて温泉の発展を図り、第二代湯守三重郎より第十一代八太郎に至っているのですが、これまでが知内温泉の祖先です。

そして当温泉は佐藤弥惣右衛門が1894年に温泉の権利を買い受けて当旅館を創業しました。現在は佐藤昌介会長の長男・昌彦が17代目湯守を務めています。平成二十八年一月にはJR東日本が選ぶ全国天然温泉THE ONSEN 31の地湯にも選ばれました。
 知内温泉には5つの源泉があり、いずれも敷地内から自然噴出(自噴)しています。源泉の温度は65℃と高温で、浴室の扉を開けると同時に全身が熱気に包まれます。
 悠久の歴史とともに絶えることのない源泉は、当温泉の裏手に湯華(ゆばな)が石化して巨大なドームを造り、浴槽や浴室の床に歴史の証拠とも言える湯華が石化し幾重もの段を成しています。長きに渡る歴史の中では、隠れキリシタンやアイヌの人々の悲しい記録もありますが、そのすべてを優しく包み込むように、湯は今も、そして未来もこんこんと湧き続けます。